アマプロ株式会社代表 林正愛が日々感じていることをつづります


by りんちゃん
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ブランドの条件 by 山田登世子

『ブランドの条件』という本を読みました。
フランスを始点としたブランドの考え方ですが、面白い示唆に富んで
いて、とても参考になりました。まとめてみます。
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〇モードは現在 ブランドは永遠。
「近づきがたさ」はブランドの条件の大きな要素
「親しみやすさ」はブランドにとってマイナス要因になることも
日常の彼方にあって、永遠の輝きを感じさせねばならない。

〇ブランドとは伝説、起源のオーラがある
「メゾン」という語は、「家」という意味の他に「本舗」野意味でも使われ、「家系」
という意味もある。一家の伝説があり、神話が誕生する。

〇起源の神話―ラグジュアリーブランドの条件であり、伝説のないブランドは
ブランドではない。
「起源の伝説を援用して」創造され、「ラグジュアリー(贅沢)がまさにラグジュ
アリー(贅沢)であるのは、それが神話の高みにまでのぼりつめ、消費されて
滅び行く品々が「時を超越した」神話になることに寄ってである。
贅沢とはもともと「聖なるもの」と結びついている。贅沢の起こりは、彼岸の
神々に捧げものをする供犠だった。
時代の流れとともにこの供犠の習慣は廃れゆき、産業の時代の到来ととも
に贅沢はまったく別の形態に移行する。
ブランドという商品となって街に降りてきた。オーラがあり、オーラを呼び起
こす魔法の呪文が由緒ある「名前」である。

〇はじめに「皇室」ありき。
ラグジュアリー・ブランドは特権階級を顧客に誕生するということ、本質的
にはロイヤル・ブランド。
ラグジュアリー・ブランドにオーラを授けているのは、顧客である皇室のほう。

〇フランスの社会学者ピエール・ブルデュー
金融資本や技術資本など、市場に流通するさまざまな資本のうち、人びと
の認知と承認にもとづいて一種の「信用」として機能する資本を象徴資本と
呼び、それが生み出す商品を象徴財とよんでいる。ルイ・ヴィトンという
メゾンの「名」がまさにれっきとして象徴資本になった。

〇奢侈の本質は内容的にいっても貴族的なものだった。
ヴィトンの召使いに持たせるものであっただけではない。この木箱は、持ち
主の依頼にあわせ、入れるものにあわせてつくられるものだった。
ヴィトンのオーダー品は、一般大衆からはるか遠く、世界の王侯貴族や
名士たちのものだった。歴代のヴィトンが店を構えた店舗の立地もまた
このメゾンのプレステージの証だった。

〇カルチエにゲラン、ワース、ウジェニー侯の御用達承認。第2帝政はラグ
ジュアリー・ブランドが生まれるべくして誕生した時代。1853年から1870
年まで、平和を享受しつつ劇的な経済発展をとげたこの時代は、消費文化
が質的転換を遂げた時代。フランスのラグジュアリー・ぶらんどはここに
起源を持つべくして持っている。モダン・ラグジュアリー。

〇ナポレオン三世は平和を望んだ。平和を望んだのは国内産業の育成の
ため。叔父が軍事立国を目指したが、彼は産業立国を目指した。「産業王」
とよばれる所以。最大の事業がパリ大改造。13区から20区へ。ブランド
通り、サントノレ通りが開通したのもこのとき。鉄道も開通。工業の盛んな
ヨーロッパ北部とパリを結ぶ北部鉄道の開通は、フランス資本主義の発展
に大きく貢献した。地中海にのびるPLM(パリ、リヨン、メディテラネ鉄道)は、
違った方面でパリを拡張した。南仏リヴィエラ海岸がパリジャンのリゾート
地になったから。リゾート文化もトランク商ヴィトンに幸運をもたらした。
宮廷の宴会も影響も。「帝国の祝祭」と呼ばれ、未曾有の贅を尽くした宴会が
開かれた。祝宴への参加を義務づけることで、奢侈品産業の育成をはかった。
ラグジュアリーは国策とも言える。

〇紳士服とは逆にオーダーでしかつくれない凝ったドレスが大流行した。この
流行が、「高級仕立て服、オートクチュールの誕生につながっていく。
宮廷に集う貴婦人の「エレガンスの競争」は、クチュリエたちを繁盛させた。
妃后ウジェニーは衣装にうるさかった。

〇第二帝政は「贅沢の民主化」の時代でもある。「ボンマルシェ」をはじめ、今も
続くデパートが次々と誕生をみる。

〇ヴィトンのトランク「ワードローブ」が1889年のパリ万博で見事グランプリを
勝ち取る。その商品が国際的競争力を備えている証でもある。フランスにおい
てラグジュアリー・ブランドの条件は二つ。
① 皇室御用達のメゾンになること。
② 万博でグランプリを受賞すること。
ナポレオン三世の奢侈品産業育成政策から生まれたもので、「花の都」パリを
世界に誇示することと並んで、各企業の万博出展をうながし国内産業の国際
的競争力をつけることだった。
1867年の万博、クリストフルやバカラがグランプリ受賞。

〇フレデリック・ワース(仏語:ウォルト)
従来のクチュリエがやらなかった新機軸をうちだした。
第1に、現代のモード産業が普通におこなっているモデル生産。1人の顧客に
あわせて1点ものをつくるのではなく、あらかじめモデルとなる方をいくつか
デザインしておき、客はその中から気に入ったものを選ぶという生産方式。
第2にラディカルな商法。彼の店の商品は法外に高かった。
高価格政策を通して、デザインという者を高価な商品に変え、デザイナーの
名をれっきとした象徴資本にした。
「グリップ」、ブランドのマークを作り出した。
これを機に、顧客とブランドの関係が展開を遂げてゆくこと。
①ワースはワースだから価値がある。
②ワースは皇室御用達だから価値がある。
皇室のオーラを背景にしつつ、①の戦略に出た。半ば成功した。
かつては、顧客が主人であり、職人はその影で働いていた。
顧客に従属していた旧来の地位からクチュリアが開放されて、モードを牛耳る
新しい権力をかざしてみることになる。
帰属の凋落とともにデモクラシーの台頭と軸を一にする。
デモクラシーの時代とともに、贅沢は帰属材であることをやめ、商品化して
金で買えるものになった。

〇エルメス
高級馬具工房。
3代目のエミール・エルメス。
軍隊でカナダに派遣されたときに、自動車先進国の現実に直面した。
アメリカは「機械生産による大量生産」とヨーロッパは「職人生産による少量
生産」。「少量生産」の「高級品」にかけた。
ハンドクラフトと受注生産という「魂」
ブランドはマーケットを前提にして始めて成立する商品価値。受注生産で
あっても、既製品であり、多少の「量産」の枠がある。

〇オートクチュールとともに、贅沢ははじめて創造的インダストリーとなる。
おそらく大ブランドの政策のしかたーハンドメイド、オーダーメイド、量より
質へのこだわり、クチュリエの熟練ーといったものはなお残り続けたにちが
いない。
けれどもそこではまた量産という近代原理が発揮された。量産と言っても
数は少なかったが。

〇フォードとエルメスは具体的にどこがちがうのか?
まず、生産システムがちがう。職人生産=少量生産VS大量生産の差異で
ある。そのもっと重大な差異はここから帰結する価格の違いである。ヨーロ
ッパのラグジュアリー・ブランドは価格が高い。デザインという無形の価値を
高く売りつける高価格政策はオートクチュールの始祖ワースの登場とともに
動かぬものとなった。
それとともに、エルメスやヴィトンにはデザインだけに還元されない「無形」の
象徴的価値がある。それは、アメリカには決してありえないもの、すなわち
王侯貴族を相手に栄えてきた百年の「伝統」である。エルメスでオーダーメイ
ドのバッグを買うわたしたちは、この伝説を手に入れる贅沢のための対価を
払っているのである。もしその伝説が手の届かない高嶺にあったなら、その
コピーでもいいから手にしてみたいと思うほど。

〇偽物
本物の「分身」たちの群れが本物の価値をさらに高めている
ライセンス・ブランドーー私たち日本人は、こうしたライセンス・ブランド、すな
わち「合法的なコピー」をとおして、海外ブランドの魅惑を知った。
フランスのデパート産業でも、本物と良く似たイミテーションという関係でいえ
ば、事情は同じ。
1852年ボンマルシェ創業。創業者のブーシコーは、初めて「定価販売」を
実現。「出入り自由」という原則を打ち立てた。ショー・ウィンドウ・ディスプレイ
の演出とともに始まった。「衝動買い」というショッピング形態はまさにボンマル
シェが誕生させた。デパートの主力商品は衣類。
新品とはすなわち高級仕立て服、オートクチュールのコピー。

〇シャネル登場
女性が自分で着られる服。
なぜなら第二帝政の貴婦人たちのドレスは召使いに着せてもらうものであって、
「着付け」のいる衣装だったから。財力や地位の表現である美々しい衣装は
人形のような飾り物にしていた。その華美な衣装を抹殺するために、シャネルは
ジャージーという貧しい素材をあえて使って、豪華な記事を時代遅れにしてしまった。
コピーされるということは、そのデザインに対する「愛と賞賛」の証し。コピー商品
は広く世界にシャネルの名を流通させる。
業界のしきたいとてをにぎるのではなく、同時代に生きる女たちと手を携えていた。
シャネルは新しい時代に向かって踏み出した女たちの先頭に立った。
「流行したもの、それは私よ」「モード、それは私よ」
パリのブランド力をバックにしている。
「メイド・イン・パリ」はマジカルな夢の力を放って人々を魅了した。モードとアート
このコラボレーションはシャネルの当初からのスタイル。
パリという都市はこれだけの才能を一つに集めるだけの力があった。そのパリの
流行の先端をいくシャネルは、確かに存在そのものが世界のモードを体現していた。
メディアをうまく利用した。女性誌が空前にうれた時代。権威は皇室からメディア
という匿名権力に座を譲る。メディアは現在。
名声を永遠のものにしたブランドは同時に「現在」をうらなくては行けない。

〇自身の伝説は永遠に。商品は現在のものをーこの意味でシャネルは二十底に
できている。

〇まずはじめに立派なものがあれば、そこから出発して、シンプルなもの、実用的
で安いものへと降りていける。安物は高いものからしか生まれてこない。廉価品の
生産が成立するためには、まずはじめに高級な仕立てがなければならない。
質を足して量ができるわけじゃない。

〇着物にはなぜブランドが存在しないのか。
シャネルはシャネルだから価値がある。日本の着物には、長い職人生産の伝統が
ある。だが、ブランドが存在しない。着物にはデザイナー・システムが存在していな
いからだ。友禅や袖は製品のクオリティと類別の名称であってもここのデザイナー
のなまえではない。だからブランド品ではない。
ブランドとは名の価値体系。バリューは名前から生じる。
ネームの依ってたつ起源はどこへいったのだろうか。かつて贅沢は聖なるもの、
呪術的なものと結びついていた。天への捧げものは、高級品であるか否かを問わ
ず、最良のものでなければならなかった。目に見えないその天のオーラは世紀と
ともに世俗化の一途をたどり、ついに「有名性」というフラットな地平へとたどり着い
た。有名な名。セレブリティ。

〇ブランドは女のものか。
贅沢な消費が女の領分になったのは、たかだか19世紀以降のことに過ぎない。
浪費が「金銭的能力の証」になったのはブルジョワジーの時代であり、貴族の
時代には贅沢は男性の領分であった。
土地の最良のものを神々に捧げた部族の長はほとんどだんせいである。贅沢な
浪費は族長の職務であった。
その責務は、王族に受け継がれていく。そのピークを飾ったのが17世紀のフランス
絶対王政。ヴェルサイユと言えばマリー・アントワネットを思い浮かべるが、宮廷
社会の栄華を極めたのは彼女以前にルイ14世その人。ルイ14世はみずから
1400万フランの宝石のついた衣装をまとった。
ジェンダーと並んで、その贅沢が「パブリック」なものだった。宮廷社会は劇場社会。
宮廷社会のしきたりがやがて城門を超え、都市に広がってゆく。僧侶、高官、大資
本家にまでおよぶ。19世紀までは贅沢は基本的に男のもの。地位を見せつけ、
卓越性を誇示するのに重要だった。
変化をみせるのは、19世紀末、貴族の黄昏の時代から。
女性のラグジュアリーな装いは男性の富の「代行的消費」の役割を担っていた。
妻は、贅沢な装いで実を飾るだけでない。彼女自身の存在が家庭の「装飾品」な
ものだった。
贅沢の女性化が女性の家庭化とともに起こった。女の本文は家庭にあるという
観念が生まれ、性役割分担が発生する。生産が男性の、消費が女性の領分と
なって、ジェンダーの境界線が引かれる。いまは贅沢は「家庭」のなかにはいり
こみ、貴族文化の時代のあのパブリックな晴れがましさを失う。ラグジュアリーは
プライバシーの領域にあるもの、ドメスティックなものと化したのである。
とともに贅沢の「即物化」。貴族的な贅沢がパブリックな性格を有し、供回りや
召使いといった「使用人」を使う贅沢が多かったのに対し、女性の欲望は、衣装、
装身具家など、もっぱら「もの」の消費に向けられる。「もの」を消費するのが
モダン・ラグジュアリーの際立った特長。

〇ブランドイメージを保ち続けるためには、同じ場所に留まっていては、かえって
ダメ。「永遠」であるためには変わらなくてはならない。
変化することによって、スタイルは自身の新しい目印を確立し、それを周囲に
認めさせます。原価がスタイルに新しい道を開くのです。

〇何も変わらないためには、すべてが変わらなければならない。

かなり長くなり、ごめんなさい。ただ、個人的には着物になぜブランドがないのか、
その視点とかはとても新鮮でした。
新しい本ではありませんが、いろいろと考えさせられたのでした。
by jungae | 2014-09-08 07:10 |